これが私たち親子が神さまからいただいた短い休息の期間であったとしても
太宰治斜陽」(1947)
我はわが咎を知る。わが罪は常にわが前にあり
夏目漱石三四郎」(1908)
俺は世の中を駆けて通った。そしてあらゆる歓楽を、髪を掴んで引き寄せるようにした。
ゲーテファウスト」(1808)
狐に化かされるという状態は、つまり心理学者のいう三半規管の疾病であるのだろう。
萩原朔太郎猫町」(1935)
虫が知らすとでも言うのか、何だかこう、傍見をしているすきに何か起きそうで、どうも外へ目を向けられなかった
江戸川乱歩D坂の殺人事件」(1925)
努力は功の有無によって、これを敢えてすべきか否かを判断すべきものではない。
幸田露伴努力論」(1912)
この世はこんな不公平なものなのかと思って末摘花は恨めしく苦しく切なく一人で泣いてばかりいた。
紫式部(与謝野晶子訳)源氏物語(15 蓬生)」(1914)
人は、完全なたのもしさに接すると、まず、だらしなくげらげら笑うものらしい。
太宰治富嶽百景」(1939)
時はわたしが釣りに行く小流れにすぎない
ソロー森の生活」(1854)
自分等の年頃の青年にしては変態になったのではないかしらんとも考えた。
岡本かの子老妓抄」(1938)
人が自分を知ってくれないということは少しも心配なことではない。
下村湖人現代訳論語」(1949)
ええ。これまでじゃ。奥様、ご免下さいまし
森鷗外高瀬舟」(1916)
男には、不幸だけがあるんです。いつも恐怖と、戦ってばかりいるのです。
太宰治ヴィヨンの妻」(1947)
どんな犠牲を払っても、ああここだという掘り当てるところまで行ったらよろしかろうと思うのです。
夏目漱石私の個人主義」(1914)
なんという火だ。この燃え立って取り巻くのは、愛か、憎か
ゲーテファウスト」(1808)