子供がどこにいても、しあわせに暮らしてくれたなら、私の喜びは、それに勝ったことはない。
小川未明赤い蝋燭と人魚」(1921)
愚か者と見える。名はわしがつけてやる。姉は病気を垣衣、弟は忘れ草を萱草だ。
森鷗外高瀬舟」(1916)
死んだ気で生きていこうと決心しました。
夏目漱石こころ」(1914)
僕の視野のうちに妙なものを見つけ出した。妙なものを?――というのは絶えずまはっている半透明の歯車だった。
芥川龍之介歯車」(1927)
読者諸君、事件は実に面白くなって来た。
江戸川乱歩D坂の殺人事件」(1925)
人間はね、相手が狐だと分かると、手袋を売ってくれないんだよ
新美南吉でんでんむしのかなしみ」(1935)
人が自分を知ってくれないということは少しも心配なことではない。
下村湖人現代訳論語」(1949)
三軍も帥を奪うべし、匹夫も志を奪うべからず。
下村湖人現代訳論語」(1949)
麻酔薬はうわ言を言うと申すから、それが怖くてなりません。
泉鏡花外科室」(1895)
こんなおいしいご飯を食べたことはないと思うほどだった。
有島武郎生れ出づる悩み」(1918)
回という人間は決して馬鹿ではないのだ。
下村湖人現代訳論語」(1949)
でも、あなたは、あなたは、私を知りますまい!
泉鏡花外科室」(1895)
真の懐疑家はソフィストではなくてソクラテスであった。
三木清人生論ノート」(1941)
内供はなまじっか鼻が短くなったのが、かえって恨めしくなった。
芥川龍之介」(1916)
しかし東京ないし大阪のようになるということは、必ずしもこれらの都市が踏んだと同一な発達の道筋によるということではない。
芥川龍之介魔術」(1920)