「病牀六尺」が百に満ちた。
正岡子規病床六尺」(1902)
感慨日記を書き続けてきた節目のとき
やあ、人参と干瓢ばかりだ
泉鏡花高野聖」(1900)
ユーモア期待していたものが期待外れだったとき
さっき一度紙くずのようになった二人の顔だけは、もうもとのとおりになおりませんでした。
宮沢賢治山越え」(1921)
哀愁深く傷ついた経験の後で
恐ろしいジレンマです。
アインシュタイン相対性理論」(1916)
恐怖物理学の基本原理が矛盾するとき
新! 行ってお父さんを呼び返してこい。
菊池寛父帰る」(1917)
後悔取り返しのつかないことをしたとき
俺は総領で家督をしているが、どうかして難しい家の養子になってみたい。
福沢諭吉福翁自伝」(1899)
理想兄が理想を語る時
あなたが生んだという賢一郎は二十年も前に築港で死んでいる。
菊池寛父帰る」(1917)
決意過去と決別したいとき
えらい駆け落ちをしてしまったという悔いが一瞬あった。
織田作之助夫婦善哉」(1940)
後悔取り返しのつかないことをしたと気づいたとき
天主閣は、明治の新政府に参与した薩長土肥の足軽輩に理解されるべく、あまりに大いなる芸術の作品であるからである。
芥川龍之介魔術」(1920)
皮肉文化的価値を理解されず、美しいものが破壊されるとき
人よりはすぐれた風采のこの公子も、源氏のそばで見ては桜に隣った深山の木というより言い方がない。
紫式部(与謝野晶子訳)源氏物語(07 紅葉賀)」(1914)
美への憧憬自分の美しさに自信を持てないとき
私はその四文字から新たに出発したのです。
夏目漱石私の個人主義」(1914)
決意人生をやり直そうと決めたとき
天から降ったか、地から湧いたか。
夢野久作ドグラ・マグラ」(1935)
ユーモア自分の出自が全くわからない状況を客観視したとき
ひとりでに山が一つ押し寄せてきます
ゲーテファウスト」(1808)
驚愕超自然現象を目撃したとき
つまり、あたまが悪いと同時にあたまがよくなくてはならないのである。
寺田寅彦科学者とあたま」(1933)
皮肉矛盾を抱えて悩んでいるとき
教師というものは実に楽なものだ。人間と生まれたら教師となるに限る。
夏目漱石吾輩は猫である」(1905)
羨望職業を考えるとき
武蔵野を除いて日本にこのような所がどこにあるか。
国木田独歩武蔵野」(1898)
郷土愛故郷や愛する土地について語るとき
私共と彼等とは、生きるために作られた人間であるということに何の差があろう?
宮本百合子貧しき人々の群」(1916)
覚悟差別や格差について考えるとき
私は夢を見ているような気がした。
萩原朔太郎猫町」(1935)
困惑現実と夢の境界線がわからなくなったとき
こんな月夜には、子供たちは何か夢みたいなことを考えがちでした。
新美南吉」(1943)
幻想日常を離れて特別な体験をしたいとき
猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。どこを見ても猫ばかりだ。
萩原朔太郎猫町」(1935)
恐怖現実が完全に崩壊したとき