夏目漱石が学習院で行った講演の記録である本作は、自身の体験を通じて「個人主義」について論じた思想的エッセイの傑作である。
漱石はまず、講演の経緯を軽妙に語る。春に依頼を受けたものの病気で延期となり、準備不足のまま当日を迎えた顛末を率直に述べる。続いて自身の来歴を振り返り、学生時代の就職活動から高等師範学校、熊本の第五高等学校での教職体験、そして文部省留学生としてロンドンに派遣された体験を詳細に語る。
特にロンドン留学時代の苦悩は印象深い。英文学研究に行き詰まり、西洋の学問を模倣するだけでは真の学問は生まれないと痛感した漱石は、深刻な神経衰弱に陥る。この体験を通じて、他人の受け売りではなく「自己本位」で物事を考える重要性に目覚める。
帰国後、東京帝国大学で英文学を講じながらも、自分なりの文学観を築き上げた漱石は、やがて朝日新聞社に入社し職業作家となる。そして講演の核心として「個人主義」を論じる。それは利己主義とは異なり、自分の個性を発展させつつも他人の個性を尊重し、社会的責任を自覚することだと説く。真の個人主義とは、自由と責任が表裏一体となった近代的な生き方なのである。