子供がどこにいても、しあわせに暮らしてくれたなら、私の喜びは、それに勝ったことはない。
小川未明赤い蝋燭と人魚」(1921)
慈愛親として子どもの幸せを願うとき
人は高塔であった。馬は山であった。豚は丘のごとく、鶏は城楼と見える。
中島敦名人伝」(1942)
驚き新しい世界が見えたとき
春は眠くなる。猫は鼠を捕ることを忘れ、人間は借金のあることを忘れる。
夏目漱石草枕」(1906)
のどか春の陽気に包まれたとき
こんな所に誰が居るものか、一度出たらば鉄砲玉で、再び帰ってこはしないぞ。
福沢諭吉福翁自伝」(1899)
決別故郷を離れる時
これがわしの性根なんだ
ドストエフスキー罪と罰」(0)
諦念自分の本性を認めるとき
他の人の行くことを嫌うところへ行け。他の人の嫌がることをなせ
内村鑑三後世への最大遺物」(1897)
覚悟困難な道を選ぶ勇気が必要なとき
助けられたが不思議なくらい、嬢様別してのお情けだわ
泉鏡花高野聖」(1900)
慈愛危険から逃れられたことに感謝するとき
着手の処、着手の処と尋ねなければならぬ。
幸田露伴努力論」(1912)
焦燥何から始めればいいかわからず立ち止まっているとき
ハハハ……、二十面相は童話の中の魔法使いです。だれにでもできないことを、実行してみせるのです。
江戸川乱歩怪人二十面相」(1936)
狂気不可能を可能にする力を誇示するとき
私はこの時初めて、言いようのない疲労と倦怠とを、そして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅かに忘れることができたのである。
芥川龍之介蜜柑」(1919)
希望小さな光を見つけたとき
その家を畑ごとお前にやるから、早速行って住むが良い。今頃は丁度家の周りに、桃の花が一面に咲いているだろう。
芥川龍之介杜子春」(1920)
希望新しい人生を歩み始めるとき
そしたら、母ちゃんは、びっこを引いてゆっくり行きましょう
新美南吉」(1943)
慈愛無条件の愛を感じたいとき
何というやさしい、何という美しい、何というおっとりした声なんでしょう
新美南吉でんでんむしのかなしみ」(1935)
慈愛美しいものに出会ったとき
決してご遠慮はありません
宮沢賢治山越え」(1921)
皮肉甘い誘いに惑わされそうなとき
何のことだろう、殿様の頭でも踏みはしないだろう。
福沢諭吉福翁自伝」(1899)
疑問殿様の名前の書いた紙を踏んで叱られた時
不可解な、下等な、退屈な人生の象徴でなくて何であろう。
芥川龍之介蜜柑」(1919)
諦念人生に絶望しているとき
「いき」は「浮かみもやらぬ、流れのうき身」という「苦界」にその起原をもっている。
九鬼周造「いき」の構造」(1930)
哀愁人生の辛さを味わい尽くしたとき
虫が知らすとでも言うのか、何だかこう、傍見をしているすきに何か起きそうで、どうも外へ目を向けられなかった
江戸川乱歩D坂の殺人事件」(1925)
予感何か重大なことが起きる直前
本当の神様はもちろんたった一人です
宮沢賢治銀河鉄道の夜」(1934)
決意自分の信念を貫こうとするとき
これは、こっちの方が人気があるわい。
横光利一」(1923)
皮肉みんなが迷っているとき