あなたが産んだという賢一郎は二十年も前に築港で死んでいる。
菊池寛藤十郎の恋」(1919)
指導者は全部、無学であった。常識のレベルにさえ達していなかった。
太宰治黄金風景」(1939)
求婚者を多数に持つ女の中の模範的な女だと源氏と内大臣は玉鬘を言っていたそうである。
紫式部(与謝野晶子訳)源氏物語(30 藤袴)」(1914)
彼女は大胆不敵なエキジビショニストであったのだ。
江戸川乱歩黒蜥蜴」(1934)
社会の虫なりというような次第で、それはそれは卑劣とも何とも実に言いようのない悪い事をして少しも恥じない
福沢諭吉福翁自伝」(1899)
私がいなくなっても、もう姉さんたちは一生遊んで暮せるでしょう。
太宰治畜犬談」(1939)
私には思想なんてものはありませんよ。好き、嫌いだけですよ。
太宰治黄金風景」(1939)
私はそういうものを身近に見て、素直に死にたいと思う。
岡本かの子老妓抄」(1938)
生きていればいいたい事はいいたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限っていれど、それさえ読めないで苦しんでいる時も多い。
正岡子規病床六尺」(1902)
ああ、そのときのお前の顔色の、そしてその唇の色までも、なんと蒼ざめていたことったら!
堀辰雄風立ちぬ」(1938)
私は恥じます。これからは一回一円ずつ払いなさい。
小泉節子思い出の記」(1908)
美は常に、無限に変わりつつあるといえる。
中井正一美学入門」(1941)
春は眠くなる。猫は鼠を捕ることを忘れ、人間は借金のあることを忘れる。
夏目漱石草枕」(1906)
人間の多くは金銭においてではないが、うららかな時間と夏の日において富んでいる。
ソロー森の生活」(1854)
短い人生もああした人といっしょにいれば長生きができるだろう。
紫式部(与謝野晶子訳)源氏物語(28 野分)」(1914)
侍はそれを舟のへりに乗せ、刀でぱちんと二つに割りました。
新美南吉飴だま」(1943)