富士の頂角(ちょうかく)について、広重(ひろしげ)の富士は八十五度、文晁(ぶんてう)の富士も八十四度くらい。
太宰治富嶽百景」(1939)
母君さえ死んでいなかったならと、またこの悲しみを新たにすることになったのであった。
紫式部(与謝野晶子訳)源氏物語(25 蛍)」(1914)
わたくしはほとんど活動写真を見に行ったことがない。
永井荷風濹東綺譚」(1937)
旅が単なる「同一空間における同一事物の移動」にすぎないことを教えてくれた。
萩原朔太郎猫町」(1935)
地面の底の病気の顔地面の底に顔があらわれ、さみしい病人の顔があらわれ。
萩原朔太郎月に吠える」(1917)
月夜に七人の子供が歩いていました。
新美南吉」(1943)
三十六にもなって、子供も三人あって、あんなことを考えたかと思うと、馬鹿々々しくなる。
田山花袋蒲団」(1907)
序文 論語は「天の書」であると共に「地の書」である。
下村湖人論語物語」(1938)
二人の若い紳士が、すっかりイギリスの兵隊の格好をして、……
宮沢賢治山越え」(1921)
盛りなる御代の后に金の蝶しろがねの鳥花たてまつる      (晶子)三月の二十日過ぎ、……
紫式部(与謝野晶子訳)源氏物語(24 胡蝶)」(1914)
平出園子というのが老妓(ろうぎ)の本名だが、これは歌舞伎俳優の戸籍名のように当人の感じになずまないところがある。
岡本かの子老妓抄」(1938)
親から受け継いだ無鉄砲な性格で、子供の頃から損ばかりしている。
夏目漱石坊っちゃん」(1906)
種田山頭火(さんとうか)と並んでいわゆる自由律俳句を代表する俳人、尾崎放哉(おざき・ほうさい。
尾崎放哉尾崎放哉選句集」(1926)
福沢諭吉の父は豊前中津奥平藩の士族福沢百助、……
福沢諭吉福翁自伝」(1899)
逢坂は関の清水も恋人のあつき涙もながるるところ       (晶子)以前の伊予介(いよのすけ=伊予国の次官)は院が……
紫式部(与謝野晶子訳)源氏物語(16 関屋)」(1914)
小石川の切支丹坂(きりしたんざか)から極楽水(ごくらくすい)に出る道のだらだら坂を下りようとして彼は考えた。
田山花袋蒲団」(1907)
ポチの鳴き声で僕は目が覚めた。
有島武郎生れ出づる悩み」(1918)
この小冊子は、明治二十七年七月相州箱根駅において開かれたキリスト教徒第六夏期学校において述べた私の講話を、……
内村鑑三後世への最大遺物」(1897)