越後の春日を経て今津へ出る道を、珍しい旅人の一群れが歩いている。
森鷗外高瀬舟」(1916)
○病床六尺、これが我世界である。
正岡子規病床六尺」(1902)
春の暖かい日のこと、私の舟に二人の小さな子どもを連れた女の旅人が乗りました。
新美南吉飴だま」(1943)
第1部——美学とは——1 美とは何であるか自然の中に 美学とは何を学ぶ学問であろうか。
中井正一美学入門」(1941)
皮ごろも上に着たれば我妹子は聞くことのみな身に沁まぬらし  (晶子)源氏の君の夕顔を失った悲しみは、……
紫式部(与謝野晶子訳)源氏物語(06 末摘花)」(1914)
「論語」を読む人のために東洋を知るには儒教を知らなければならない。
下村湖人現代訳論語」(1949)
富士の頂角(ちょうかく)について、広重(ひろしげ)の富士は八十五度、文晁(ぶんてう)の富士も八十四度くらい。
太宰治富嶽百景」(1939)
…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。
夢野久作ドグラ・マグラ」(1935)
出て行け! この悪党めが! 貴様も馬鹿な、嫉妬深い、猥褻な、図々しい、うぬ惚れきった、残酷な、虫のよい動物なんだろう。
芥川龍之介河童」(0)
私はこんなにまで人から冷淡にされたことはこれまでないのだから、今晩はじめて人生は悲しいものだと教えられた。
紫式部(与謝野晶子訳)源氏物語(03 空蝉)」(1914)
市九郎は、主人の切り込んで来る太刀を受け損じて、左の頬から顎へかけて、微傷ではあるが、一太刀受けた。
菊池寛恩讐の彼方に」(1919)
ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係りでした。
宮沢賢治セロ弾きのゴーシュ」(1934)
実は好奇心のため、しかし私は画家であることを利用して、……
泉鏡花外科室」(1895)
おれが金を返さなければこそ、君が美禰子さんから金を借りることができたんだろう
夏目漱石三四郎」(1908)
僕は小さい時に絵を描くことが好きでした。
有島武郎小さき者へ」(1918)
この小冊子は、明治二十七年七月相州箱根駅において開かれたキリスト教徒第六夏期学校において述べた私の講話を、……
内村鑑三後世への最大遺物」(1897)
平出園子というのが老妓(ろうぎ)の本名だが、これは歌舞伎俳優の戸籍名のように当人の感じになずまないところがある。
岡本かの子老妓抄」(1938)