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生きた哲学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。
九鬼周造「「いき」の構造」
背景解説
これは哲学への九鬼の根本的な態度表明だね。机上の空論じゃダメ、現実に向き合って理解できる哲学じゃないと意味がないってこと。学問への真摯な覚悟が感じられる。
では「いき」という現実をどう理解するのか
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『「いき」の構造』の他のひとふみ
まず内包的見地にあって、「いき」の第一の徴表は異性に対する「媚態」である。
九鬼周造
「いき」の構造は「媚態」と「意気地」と「諦め」との三契機を示している。
九鬼周造
野暮は垣根の外がまへ、三千楼の色競べ、意気地くらべや張競べ
九鬼周造
模様として縞が「いき」と看做されるのは決して偶然ではない。
九鬼周造
婀娜っぽい、かろらかな微笑の裏に、真摯な熱い涙のほのかな痕跡を見詰めたときに、はじめて「いき」の真相を把握し得たのである。
九鬼周造
一の意味または言語は、一民族の過去および現在の存在様態の自己表明、歴史を有する特殊の文化の自己開示にほかならない。
九鬼周造
媚態とは、一元的の自己が自己に対して異性を措定し、自己と異性との間に可能的関係を構成する二元的態度である。
九鬼周造
「いき」は恋の束縛に超越した自由なる浮気心でなければならぬ。
九鬼周造
「野暮は揉まれて粋となる」というのはこの謂にほかならない。
九鬼周造
「いき」とは、わが国の文化を特色附けている道徳的理想主義と宗教的非現実性との形相因によって、質料因たる媚態が自己の存在実現を完成したものであるということができる。
九鬼周造
「いき」の研究は民族的存在の解釈学としてのみ成立し得るのである。
九鬼周造
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