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観念らしい観念は死の立場から生れる、現実或いは生に対立して思想といわれるような思想はその立場から出てくるのである
三木清「人生論ノート」
背景解説
本当に深い思想って、死を意識したところから生まれるんだって。死を考えることは暗いことじゃなくて、人生を深く考えるための入口なんですよ
「死を考えること」が思想の始まりだと言い切る哲学者
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