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私が疑うということから私は有るということが帰結する。
デカルト「省察」
背景解説
疑うという行為そのものが、疑う主体の存在を前提している。この逆説的な構造に気づいたデカルトの天才的洞察だ。哲学の醍醐味がここにある。
この推論は本当に完璧なのだろうか?
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『省察』の他のひとふみ
私は有る、私は存在する。
デカルト
無限なものの知覚は有限なものの知覚よりも先のものとして私のうちにある。
デカルト
ただ私に知られていることについてのみ、私は判断を下し得る。
デカルト
このことから、神が欺く者であり得ないことは十分に明らかである。
デカルト
しからばどこから私の誤謬は生じるのであろうか。
デカルト
私は真実のもの、そして真に存在するものである。だがいかなるものなのか。私は言った、思惟するもの、と。
デカルト
「洞察」が響くひとふみ
鏡は自惚れの醸造器であるごとく、同時に自慢の消毒器である
夏目漱石
認識は模写的であると同時に構成的であり、模写と構成との統一である。
三木清
福を惜しむ人が必ずしも福に遭うとは限るまいが、何様も惜福の工夫と福との間には関係の除き去るべからざるものがある。
幸田露伴
理想は椅子にあるものでないから、椅子を得たによってまっとうするとはいわれない。
新渡戸稲造
この虹が人間の努力の影だ
ゲーテ
織物などもやはり古い物のほうに芸術的なものが多い
紫式部(与謝野晶子訳)
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