ホーム
/
源氏物語(10 榊)
/
鈴鹿川八十瀬の波に濡れ濡...
/
背景解説
もどる
鈴鹿川八十瀬の波に濡れ濡れず伊勢までたれか思ひおこせん
紫式部(与謝野晶子訳)「源氏物語(10 榊)」
背景解説
「誰が私のことを思い出してくれるだろうか」という問いかけが切ない。もう諦めているようで、でもまだ少し期待もしている。この微妙な心境が、恋に疲れた女性の心を表している名歌ですね。
果たして源氏は彼女を忘れてしまうのか…
あらすじを見てみる →
本文を読む →
『源氏物語(10 榊)』の他のひとふみ
斎宮の伊勢へ下向される日が近づけば近づくほど御息所は心細くなるのだった。
紫式部(与謝野晶子訳)
この上にいっそう苦痛を加えるだけだと思って、御息所はしいて冷ややかになっているのだ。
紫式部(与謝野晶子訳)
自分はこの人が好きだったのだという認識の上に立ってみると、二人の昔も恋しくなり
紫式部(与謝野晶子訳)
暁の別れはいつも露けきをこは世にしらぬ秋の空かな
紫式部(与謝野晶子訳)
傑出した人の行動は目に立ちやすくて気の毒だ。
紫式部(与謝野晶子訳)
「諦念」が響くひとふみ
幸福は一生、来ないのだ。それは、わかっている。
太宰治
そこで考え出したのは、道化でした。
太宰治
人間は、お互い何も相手を分からない。
太宰治
ただ、一切は過ぎて行きます。
太宰治
おまえはもうカムパネルラを探してもむだだ
宮沢賢治
しかし、下人は雨がやんでも、特別どうしようという当てはない。
芥川龍之介
← ホームに戻る