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足あり、仁王の足の如し。足あり、他人の足の如し。
正岡子規「病床六尺」
背景解説
病気で足がパンパンに腫れ上がった正岡子規が、自分の足を見て「これ仁王像の足じゃん」「てか他人の足みたい」って表現したんです。普通なら「痛い」「辛い」って言いそうなところを、こんな不思議で詩的な言葉で描くセンスがヤバすぎる。まるで自分の体を客観視して、痛みすら芸術に変えちゃってるんです。
でも子規はこの「他人の足」で、まだ歩こうとしていたんです...
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『病床六尺』の他のひとふみ
病床六尺、これが我世界である。
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このごろはモルヒネを飲んでから写生をやるのが何よりの楽しみとなっている。
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生きていればいいたい事はいいたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限っていれど、それさえ読めないで苦しんでいる時も多い。
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